大阪ミモザライトアップ&デコレーション2025
📅 2025.02.13
大阪市中央区ほか
2025.1.28
関西屈指の若者文化の発信地として知られる「アメリカ村」。2025年の大阪・関西万博を見据えて、「アメ村をもっと面白くしたい」と奔走するアーティスト・儀間建太さんにお話を聞きました。
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アメリカ村(以下、アメ村)は、大阪市中央区西心斎橋にある「三角公園(御津公園)」を中心に、若者向けのショップが集積するエリアの通称。アパレルや雑貨、飲食店、レコードショップ、クラブやライブハウスなど約2,500店のショップがあり、大阪ストリートカルチャーの中心地として、関西の若者文化をリードしてきました。
そんなアメ村の未来を担う人物として注目されているのが、バンド「愛はズボーン」のフロントマンであり、クラフトビールショップ&ギャラリー「iiie(イーエ)」のマネージャーとしてアメ村を中心に活動する儀間建太さん。2024年7月12日に放送された、NHK『かんさい熱視線』の「アメ村特集」でも、大きく紹介され話題になりました。
そんな儀間さんが、2025年の大阪・関西万博を見据えて発足させたのが「AMEMURA Re:SAIKOO(アメ村リサイコー)」というチーム。「アメ村をもっと最高にしたい!」と意気込む儀間建太さんにお話を聞きました。
儀間建太
1991年生まれ、大阪市大正区出身。身長187cm。バンド「愛はズボーン」のボーカル・ギターとスーパーエンターテイナー担当。フリーランスチーム「PIXELGRAM」メンバー。アメ村のクラフトビールショップ&ギャラリー「iiie」のマネージャー。「AMEMURA Re:SAIKOO(アメ村リサイコー)」リーダー・ドミネーター。
アメリカ村がある大阪市中央区西心斎橋は、江戸時代、大阪湾から道頓堀を遡って炭が集められた問屋町だったことから「炭屋町」と呼ばれていました。大阪万博を翌年に控えた1969年、閑散とした倉庫街になっていた炭屋町の一角に、のちにアメ村のママと呼ばれる日限萬里子(ひぎり まりこ)さんが喫茶店「LOOP」を開店したことがきっかけで、若者が集まるようになったのです。
「アメリカ村」という名前は、アメリカから輸入されたグッズやファッションを扱う店がいくつも誕生したことから愛称として定着。アメリカとつながれるまちとして、サーフ・アメカジブームを牽引し、90年代には、関西だけでなく全国から若者が集まる「流行発信地」になっていました。
たった一人が店を作ったことで人が集まってきた。それってすごいことやなって思うんです。LOOPでアルバイトをしていた間寛平さんが日限萬里子さんの紹介で吉本興業に入ったのは有名な話ですが、ファッション関係者だけでなく、芸人やミュージシャン、若手の表現者が集まるまちになった。でも、アメ村がここまで発展したのは日限萬里子さんを中心に1982年に結成された町内会「アメリカ村ユニオン」の功績も大きいと思います。アメ村に店を構える店主たちが団結して、まちぐるみのイベントを開催して、このまちに若者を呼び込んだんです。
儀間さんがアメ村に来るようになったのは高校3年生の頃。それまで「つまらない毎日」を過ごしていた儀間さんにとって、アメ村は刺激的なジャングルだったといいます。
高校生の時、自主的に誰とも話さない1年半があったんです。学校が面白くなくて、周りの友達に対しても「なんでみんなこんなに面白くないんやろ」って思っていました。僕が面白いことを考えても誰もノってくれない、そんな毎日にフラストレーションがたまって、ある日プチッと切れて一言も喋らなくなったんです。そんな1年半を経てアメ村の立体駐車場でバイトするようになったんですけど、当時の自分にとってアメ村はまさにジャングルみたいで(笑)
「ここに来れば自分を解放できるし、挑戦する一歩を踏み出せる。音楽でもアートでもアパレルでも、どんな表現をしてもいい」そう気付いた儀間さんは、アメ村でアルバイトをしながら音楽活動もスタートします。
アメ村って表現者が集まるまちだけど、堅苦しくなくて、人情深くて、マイノリティを受け入れる懐の深さがある。「アメ村社員食堂」でアルバイトしていたこともあるんですけど、オーナーはじめお客さんたちに「親戚の子」くらいのノリで可愛がってもらいました。第二の実家です。スケーターとか彫師とか漫才師とか料理人とか、多種多様な面白い人たちがたくさんいて、みんな真剣に俺の話を聞いてくれる。高校生の時は毎日が面白くないのを周りの人のせいにしてたけど、自分で居場所を探そうとも作ろうともしていなかったんですよね。
しかし、ファッションの流行発信地は今や堀江やキタに……。経済的には繁栄したアメ村ですが、地価が高騰し商業的な施設が増えた今、アメ村に若者が挑戦できるような空き物件がないのが現状です。
東京の流行店とかチェーン店も増えて、今のアメ村は正直おもんない。でも「昔は良かった」で終わらせたくないんです。このまちが好きだから、この先も自分がここで盛り上がっていたい。コロナ禍を経て深夜営業の店も減ってしまったけど、大阪・関西万博を見据えて、夜の活気も取り戻したいですね。お昼は家族連れやティーンが集まって、夜はクリエイターや仕事終わりの会社員、更に深夜はお店を閉めた後の飲食店のスタッフなどが集まる店があって、国内外問わず観光客と一緒に楽しめる。人のグラデーションがあるのもアメ村のいいところだと思うんですよ。
儀間さんは、自分たちで新しい文化を作るために、2016年から「アメ村天国」という、音楽、アート、お笑いなどのカルチャーをミックスさせたサーキット型フェスを開催しています。
それに加え2023年、さまざまなアーティストが交差する場になっていた「digmeout ART&DINER」の跡地に、クラフトビール専門店「iiie」をオープン。マネージャーとして店舗立ち上げの空間ディレクションから、若者が自己表現できるイベントのブッキングに携わっています。
digmeoutの店長・古谷さんは、アメ村のカルチャーを支え発展させてきた一人。古谷さんの意志を継いで、iiieでもギャラリーやインストアライブ、イベントなどを開催できるようにしています。先人たちが「アメ村なら個性を出していいんだ」って思える場所を作ってきてくれました。日限萬里子さんはじめ、アメ村の文化を作った先人をリスペクトして、次は自分が、次の若者たちの場所を作る存在になります。
そして、自分たちで若手中心の新しい町内会を作るべく、2024年にアメ村を愛するクリエイターや店主たちが集まり「AMEMURA Re:SAIKOO(アメ村リサイコー)」を結成しました。
アメ村リサイコーは、アメ村天国やiiieなど、僕が今までやってきた活動の延長線上にあります。アメ村って大阪の中でも一番大阪っぽい場所なんじゃないかな。みんな働いてるって感覚じゃなくて、好きなことをやっている場所です。それを絶やしたくないし、やっぱり「アメ村サイコー!」ってみんなと叫びたいです。
アメ村リサイコーの取り組みとして、月に2回、まちの調査と美化、交流を兼ねたゴミ拾いパレード「ゴミパ」を実施。まちを美化するだけでなく、ファッショニスタ、ミュージシャン、ダンサーなど、表現者が集まる自己解放デモンストレーションとして、見ているだけで楽しい、参加するともっと楽しい、「アメ村の新しいエンターテインメント」になるようなゴミ拾いを目指しています。
参加者は、アメ村に店を持つ店主、アメ村を拠点に活動するクリエイターなど。京都から来た飛び入り参加の大学生もいました。ゴミを拾いながらまちを案内するガイド的役割も担えたらと思っていて、新店調査や裏道の案内、ミステリースポットの紹介。休憩・給水場所をアメ村内の飲食店に設定することで、地図だけでは分からないおすすめスポットを知ってもらうこともできます。
慈善活動というより、おもろい人たちが集まって交流できる場を作りたかったんです。みんなで散歩しながらゴミ拾いをすることで、新しい発見があって、まちも綺麗になって、一石何鳥もあると思うんです。はじめてアメ村に来た人が次来る時にはアメ村の歩き方を分かっていて、他の人を案内する側になれたら面白い。
「万博会期中は、もっと自己表現したい人たちが集まって、楽器を鳴らしたりダンスを踊ったりしながらまちを美化する、大きなパレードにしていきたい」という儀間さん。観光客が思わず写真を撮ってしまう「アメ村の名物」になることを目指しています。
更に、大阪・関西万博を盛り上げるべく「2025年に大きなイベントを仕掛ける」と語る儀間さん。今後の活動とは?
御堂筋に屋台、三角公園やビッグステップ、リバーサイドまでも舞台にして、アメ村最大の祭りを新たに作りたいんです。ナイトマーケットやパレードもやったりして、みんなが自分の個性を解放できるまちにしたい。そして楽器隊が音楽を鳴らしながら、ダンサーも踊りながら、みんなが特技や好きなことを披露する。目指すはタイ・バンコクを代表するお祭りまち、カオサン通り。
1982年に「アメリカ村ユニオン」が結成された当時も、「御堂筋パレード」と同時開催でまちぐるみのイベント「アメリカ村フェスティバル」が開催されたそうです。当時は移動DJに仮装、ローラースケートでド派手にパレードをしていたらしく、その他にはお笑いやファッションコンテストなどもあったりと、まさに僕がアメ村天国、iiieでやってきたことの先駆けのイベントなんです。今は更に多様性に富んだ、カオスで大阪らしいイベントを作れると思う。そして一人ひとりの音色で最高の「サイコー」を奏でたいんです。
アメ村は、かつて仲間と出会い、個性を輝かせ、自分を表現できる場所でした。毎日が「サイコー!」だったその輝きを、過去形にはしたくありません。大阪・関西万博を目前にした今だからこそ、このまちで新たな「サイコー!」を奏でたい。
大人になり一度アメ村を離れた人たちにも、再び「やっぱりアメ村サイコー!」と思ってもらえるように。そして次の世代が挑戦をはじめるきっかけとなるように。自然発生的に生まれたこのまちの文化とエネルギーを未来へつなげるため、儀間さんの挑戦は続いていきます。
取材・文:トミモトリエ/オカジマアヤノ
企画・編集:人間編集部